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本体の「路面電車の写真」などと重複する写真があります







1998年5月13日 (水)

慌ただしかった。

3 月 31 日に定年を迎えて日が経っていないから 72 日間のヨーロッパの計画だけでも大騒ぎなのに
訪問個所を少しでも多く、とーーー

① 4 月 7 日~ 12 日 豊橋、岡山、広島、松山、高知、大阪、京都、大津を「ワゴンR」で!!!
② 4 月 19 日~30 日に中国(ハルビン、長春、鞍山、大連)を組み込んでしまう。
さらに大連で濃霧のため 3 日間(某)航空が飛び立たない事態になってしまう。今時こんな事がーーー
再開初便(取り合いだったが)で 5 月 2 日夜に何とか帰宅する。

さらに留守の間、家のチェックを知人に依頼するために玄関にテンキーロックを設置するのが
ドア取り替えも含んで遅れに遅れて出発前夜まで工事が続いた。。

そして今日

夜 10 時、成田を後にした。  出発できたのが不思議なくらいだ!!

格安航空券はアクロスにお願いした。候補が結構あるが2 ヶ月以上は 5 件ほどだ。
A-340 に乗りたくてオーストリア航空にしたのだが共同運行との事で全日空のジャンボになってしまう。
きちんと調べない方が悪いしその事を担当者に言ってなかった。
しかし 78000 円はかなり安いと思う。
同時にレンタカー予約の代行もお願いした。
(最終日 7 月 20 日に結果を記してある)

ウィーン空港から市内には鉄道とバスがある。「かあさん」私とも大ザックなのでバスにする。
空港バスはミッテ駅前ヒルトン車寄せに着く。
オペラ座近くの案内所 ( 以後案内所は i と記す) に行き紹介して貰ったペンションに向かう。
ペンションはノイアーマルクト通りのノイアーマルクトだ。 3 泊頼む。

ペンション、ノイアーマルクト


今日の宿  ウイーン P ノイアーマルクト 10330円 二人朝食付 




1998年5月14日 (木)

実は今回は宿は全く予約していない。高級ホテルならいざしらず、安宿は予約が難しいし、場所を探すのも難しい。
現地で ( i ) でお願いするか、見て直接交渉した方が簡単、と思ったからだ。

まずスロバキアのビザを取りに出かける。【 追記・現在不要 】
( i ) で貰った地図で見るとハイリゲンシュタットだ。市内交通一日券を 50 シリング(約 550 円)で買う。
ウィーンの場合、一日券は 24 時間券で駅や停留所の券売機から買う。
大事なのは刻印機でチッコンと時刻を打たなければいけない。チッコンから 24 時間だ。
打たないと 500 シリングの罰金だ!!

ウイーンのトラムチケット各種 (他の日のも)
     

行きがけにオーストリア航空のオフィスに寄って 17 日と 21 日のイタリア往復のリコンファームをする。
【 追記・現在不要 】

U バーン(地下鉄) 6 系統(この線だけ地下鉄らしくない)の終点が路線変更でハイリゲンシュタットでは
なくなったのを知らなかったため時間がかかり締め切りの 11 時に辛うじて間に合う。あとは 3 時に取りに来るだけだ。

トラム撮影を始めることにする。写真とビデオの両方だ。
とりあえずフィルム 100 本だがかなりの量だ。無論足りない。ビデオから静止画像取りも考える。

ここは「D」「37」「38」の終点が近い。ウィーンは終点でぐるりと U ターンする方式だ。
運転台が片側だけで一方にしか進めない。U ターンは絵になる場面が多い。3 個所すべて押さえる。

D の終点


近くのカーレンベルク観光としゃれこむ。
バスで上り詰めた山のてっぺんからは森とブドウ畑の向こうにウィーンの町が霞む。


約束の 3 時になったのでスロバキア大使館に行きビザを受け取りぶらぶら歩き出す。
すると目の前が「ベートーベン、ハイリゲンシュタット遺書の家」だ。  “ 押さえる ”

スロバキアのビザ


ドナウ河岸の「DDSG」という船会社に明日のブラチスラヴァ往復を買いに行く。ビザを見せないと買えない。
一人往復 350 シリング、約 3850 円だ。


ウィーン ←→ ブラチスラヴァ 船のチケット


ところで 4 日後にさきほどリコンファームを済ませたイタリア往復がある。
ヨーロッパ往復に 2 フライトのオマケを利用したモノだ。出発は朝早く帰着は夜遅い。駅の近くが理想的だ。
今いる北駅付近を探す。絶好の位置のが有る。ホテルプラターシュテルンだ。
フロントで直接頼む。2 人 2 泊朝食付きで 16600 円だ。
ペンションより一日につき 2000 円安くなるのも驚きだ。中心部との差だろう。
その分キャンセル料に充てようと思ったがペンションでは不要との事だった。有り難い。

映画「第三の男」で有名なプラター公園の観覧車に乗る。


ドナウ運河と路面電車(トラム)


この色のトラムは郊外バーデンとウイーンを結ぶ「バーデン線」の市内乗り入れ


同じ会社の観光トラム


今日の宿  ウイーン P ノイアーマルクト(二泊目) 10330円 二人朝食付 




1998年5月15日 (金)

朝食を済ませて昨日取ったホテルプラターシュテルンに荷物を移す。
ブラチスラヴァ行の船は 9 時だが乗船前に出国手続きがある。

カメラ(Eos 55) だけでビデオは置いていく。船は満員だ。無論ドナウ川だ。


ブラチスラヴァ着
降りると入国審査がある。外に出るとそこは中心部に近いし目の前はトラムの線路だ。だが来ない。
かなりの場所で工事らしい。中央駅方向に歩いてようやく走行区間に出る。
中央駅まで進む。首都なのに駅がこじんまりして驚いてしまう。中を観察する。発着数は少ない。

券売機でチケットを買う。日本と異なりチケットが手元に残るのが良い。集めるのも目的の一つだ。


ブラチスラヴァのトラムのチケット
   

何とマクドナルドがあったのでコーヒーとアップルパイにする。

ブラチスラヴァのトラム


ブラチスラヴァ城に行く。城壁からドナウが見渡せてなかなかの立地だ。


トラムはお城の山の下を抜ける


一日一往復の船でウイーンに帰る。

今夜は昨日直接フロントで予約した北駅近くのホテルプラターシュテルン。

今日の宿  ウイーン H プラターシュテルン 8300円 二人朝食付 




1998年5月16日 (土)

ウィーン、ここはカアサンと私は 1996 年 1 月に来ていて要所は “ 押さえて ” いる。今回はトラムに専念だ。

ホテルの朝食は若干ペンションより品揃えが少ないがパン、ハム、チーズなどは取り放題だから問題ない。
ペンションの客は全部が観光客だったがここはビジネス客が殆どだ。

トラムを写しながら路面電車博物館を片付けてカールスプラッツ 11時 30 分発の観光トラムに乗る。
約 1 時間で 200 シリングととても高い。でも満員だ。

路面電車博物館 入場券




観光トラム




観光トラム乗車券

気分転換に美術史博物館に行くと今まで殆ど見なかった日本人が山ほどだ。日本人の教養の高さに恐れ入る。

夜のシュテファン寺院


今日の宿  ウイーン H プラターシュテルン(二泊目) 8300円 二人朝食付 




1998年5月17日 (日)

5 時 30 分に起きてフロントに荷物を預けてイタリアに出発! 朝食は抜きだ。戻ってくる 21 日の予約をして出る。
ホテルは 24 時間営業だ。歩いて 5 分の北駅から空港に行く。国鉄近郊電車で S バーンと言う。

ローマ行はラウダエアーのカナダ製 50 人乗りコミューターだ。
ニキ ラウダの経営らしい。サービスは非常に満足!! 食事は満点!


2 時間たらずでメニュー!!




ローマ・フィウミチーノ空港着、1982 年に初めてヨーロッパに降り立った空港だ。
その時はタクシーだ、両替だ、と取り囲まれて大変だった。
今日はエスカレーターで上れば国鉄駅で両替もカード引き出しも即 OK で何の問題も無い。

殆どの人はテルミニ駅(中央駅)直行の急行に乗るが我々は各駅でトラステヴェレ(中央駅の二駅手前)に行き
トラムを押さえながら中心に行くことにする。
 空港 → 市内

駅からトラムの線路づたいに写しながらテヴェレ川まで行く。川の手前はローマらしくない所だ。

テヴェレ川とトラム


宿を取るためにバスでテルミニ駅に行く。 
時間が貴重なので駅前のホテルを即決める。。

観光に繰り出す。スペイン広場、さらにトレビの泉を片付ける。


トラム & コロッセオは外せない。


ローマ、トラムのチケット


線路を追ってチルコマッシモから真実の口、橋を渡ってサンタンジェロ、サンピエトロ広場、
トラステヴェレ、そしてピラミデで突然の夕立となり今日の「仕事」を終わりにする。

今日の宿  ローマ H 駅前カタリーナ 6600円 二人




1998年5月18日 (月)

雨は降り尽くして抜けるような青空だ。荷物をテルミニ駅の預かり所に預ける。
ヴェネツィア広場までバスで行き、フォロロマーノを通って昨日来たコロッセオに再度来て今度は中に入る。

コロッセオの中


月曜日なのに昨日より多い感じだ。時間的なのかあるいは団体がイッパイなのか?
アフリカンの物売りがビックリするほど多い。扱い品で面白いのが帽子形の傘だ。日本人もここだけ多い。

本業に戻る。観光客の来ない地元御用達の地区に行く。

トラム、ローマらしいところ


場所を変えてトラムは大学を通ってヴェノスアイレス広場に出る。細かく写してまわる。
「仕事」を終えたら午後 6 時だ。約 8 時間ぶっ通しで写し回った訳だ。

再度スペイン広場


トラステヴェレのマクドナルドに入る。日本にはないスパゲッティ、シーフードサラダを頂く。
ジャニコロの丘から夕焼けの市内一望を試みる。さらにヴァチカンまで足を伸ばしておしまいにする。

ジャニコロの丘


今日は 22 時 20 分発の夜行列車でトリエステに向かう。
ユーレールパス。日本で 2 ヶ月間で 15 日使えるフレキシータイプのパスを買ってきた。現地では買えない。


その 1 日目を使う。19 時以降の夜行列車にかぎり明日の日付で OK だ。
つまり翌朝着いてその日イッパイ使えるわけだ。
フレキシーを使う人はこの “ 裏技 ?” を使う人が多いとガイドブックにも書いてある。

さらにユーレールパスは
追加料金なしで一等座席車に乗れる。がこの列車には一等車座席車が連結されていない。
最初から残念だが寝台は勿体ないので二等 6 人コンパートメント座席にする。
我々とシチリア島の “ 肝っ玉 “ カアサンの計 3 人だ。
変なのがチョロチョロ来るがシチリア島の肝っ玉カアサンが追っ払ってくれた。



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