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本体の「路面電車の写真」などと重複する写真があります






1998年7月14日 (火)

ヴァイマール ibis ホテルから見る町は緩いうねりの谷間に沈んでいる。
建物は古いが最良の立地に静かな佇まいだ。
旧体勢の時はこのホテルはどんな使い方がされていたんだろう?

一番端の我々の部屋と上下、計 3 部屋が特に見晴らしが良い角部屋だ。周りは麦畑だ。

今日は昨日雨で通り過ぎたゴータにまず戻る。西へ 50 Km だ。
「近代化」に飲み込まれていない、つまり工事が全く無い静かな町だ。中心部まで単線だ。


しかしたどると線路は 15 Kmは有るかな、隣町まで延びている。先日のハレも 20 Km は延びているのではないか。


「西」には周辺の田舎に延びるのは見ない。
その代わり都市が密集して都市から都市というのは結構ある。延び方のイメージが全く異なる。
当然と言うかここもどこにでも車を停められる。都合が良いがトラムの本数が少ない。

次に東へ 120 Km つまり泊まっているワイマールから 70 Km 東のゲラに行く。
ゲラはまたもや徹底工事中だ。まだ名前がない新設スーパーの駐車場に入れる。
トラムの廃止線の上にスーパーなので壁で線路が塞がれている。ドイツとは思えない超大ざっぱ!!
周囲は埃だらけ、トラムに飛び乗りどこか静かな所にやってくれ!! と言った感じーーー


ゲラのトラムのチケット


一見スゴイところ


観光トラムが有るのが面白い


ゲラ大聖堂


「アパート地帯」まで行き周辺で写して埃の中心部では写さない。
ここで初めて「旧東独」の道路標識を見る。かなり異なる。
と言うことは今現在までに殆ど「西」タイプに交換してしまったんだ!

まだ明るいので先日済ませたイエナに寄る。前回のショッピングセンター「ゲーテ」に停めて改装地域の見学だ。
町一番の円形ビルに行ってみる。オフィスと思ったら大学だ。ビックリ!

ワイマールに戻る。前回工事で敬遠したがさらに強烈工事だ。多分周回路を作っていると思う。
車で中心部分に入れない。夕暮れで工事終了の所に停めてしまう。もう取り締まりは無いはずだ。

何とか今日はワイマール見物を済ませる。

今日の宿  ヴァイマール ibis ヴァイマール(二泊目) 9640円 二人朝食付 

本日のレンタカー走行距離 295 Km



1998年7月15日 (水)

さらに東のツビカウ、ケムニッツだがイビスホテルがない。ロビーのパンフレットを見ると一ランク下に
「E tap」というのがありツビカウにもケムニッツにもある。で、ケムニッツを取って貰う。
66.8 マルクとビックリ! どんな朝食かな?

今日の宿  ケムニッツ E tap ケムニッツ 5300円 二人朝食付 

アウトバーンは昨日写したゲラをかすめて簡単にツビカウの広場(多分マルクト広場)の駐車場に着く。
広場いっぱいにテントの市場だ。店員はすべて東洋人だ。ベトナム人だ。勿論日本人は一人もいない。
東洋人が多くても我々は埋没出来ない。着てるものが違うのか? 顔が良いのか?




英語が通じない。チェコでは結構通じたのにね、とカアサンが言う。
町の様子はまだまだの感じだがアウトバーンは「完備」で北側と南側に東西に並んでる。

北から来たので南側の道でケムニッツに向かう。すぐ着く。アウトバーンから Etap ホテルが見える。
地区全体の巨大工事で道がわからない。探す。手強い。15 分掛かって常識を越えた遠回りで着く。

この町は大きい。ドレスデンに匹敵、あるいはそれ以上と思う。
トラムも手入れがキレイだ。多分有名な「タトラT3D」と思うがすべて改装されて他では全く見ない、
いわゆるスカートが付いている。デザイン的にはゴツイ感じだが統一感はある。きちんと写す。


ケムニッツのトラムのチケット


町全体の改造でトラムターミナルが場所を変えて建設中だ。


中央のビルの地下から車を出そうとするがあちこちロックされていて入れない。出る時も同様だった。
出来たてのビルだがテナントは入居一割程度だろう。ここでも 15 分、奮闘する。

またまた迂回路だ。迂回路の中でぶつかりそうになる。迂回丁字路の優先権を私が間違えた。初めてのドッキリ!

本日のレンタカー走行距離 189 Km



1998年7月16日 (木)

正真正銘「東」が終わりだ。ホーフ経由ミュンヘン行きだ。最終的にウィーンだからチェコを横切れば距離半減だ。
だがビザが無い。【 追記ー現在不要 】

新設のアウトバーンを飛ばす。カアサンがアッ ここにありそうだ、と叫ぶ。
とりあえず降りてみる。走っている!!!  プラウエンだ。 偶然たった1本フィルムが残っていた。




カアサンの第六感が大当たりだが、この調子ではまだまだトラムの町が出てくるな、とある種の不安がよぎる。

出発!!  このまま進めばアウトバーン 9 で一直線だが幹線で混む、と思う。一部工事中の 93 でも行ける。
思ったとおりガラ空きだ。それにどうも約 20 Km 程度近いようだ。

ミュンヘンでは ( i ) で地図、路線図を貰い観光をかねてトラムの写真を追加する。
日本行きのリコンファームをする。【 追記ー現在不要 】
雨の中、5 時の市庁舎のからくり時計を見る。またまた日本人。

ウィーンと反対側になるがアウクスブルクの Etap を予約して貰っている。アウトバーンで一時間だ。

今日の宿  アウクスブルク E tap アウクスブルク 7130円 二人朝食付 

本日のレンタカー走行距離 508 Km







1998年7月17日 (金)

夕べと同じ道をミュンヘンに向かう。70 Km はすぐそこだ。
カアサンはショッピング、私は晴天の下での 11 時のからくり時計のビデオ取り直しだ。


ミュンヘンのトラムのチケット
  

さらにイザール川先の「マクシミリアンなんとか」をバックの絵とマックスウエーバー広場の複雑配線を
ちょっと遠いが写しながら頑張って歩いて往復する。1 時に待ち合わせた後、出発!!

キーム湖を左手に快適に進むが思い立って「清しこの夜」のオーベルンドルフに行ってみよう。
ザルツブルクまで行くと遠回りだ。ナビゲーター(カアサン)の信頼度が高くなったので途中で左折する。
快適な田舎道を 1 時間ほどでラウフェンに出る。ザルツアッハ川を渡ればオーベルンドルフだ。

この車、ブレゲンツで 6 月 30 日に借りてオーストリアをたった 10 Km 走っただけだったが
今やっとここオーベルンドルフで借りた国へ戻る。


礼拝堂と記念館をつぶさに拝見する。記念館の展示は歌よりザルツアッハ川の治水に場所をさいている。

一月前にザルツカンマーグートのザンクトギルゲンに泊まった。素晴らしい所だ。最奥に行きたい。
私だけが 10 年前に最奥ゴウサウに行っている。カアサンに見せたい。

5 時だが何とか行けるだろう。頑張る。ザルツブルクの観光は飛ばす。
ザルツブルクで究極のスーパーを見つける。つまりすべての商品は段ボールから取り出す。
野菜、肉、酒、ジュース、すべてだ。安いかどうか分からないが安いと思う。買う。

着くと 7 時だが明るい。先に夕暮れのダッハシュタインを見に集落を越えてゴウサウ湖に行く。
済んだ湖上に氷河に縁取られた山容が映ってる。


チンマ(民宿)ガ 50 軒ほどある。一軒の戸をたたく。

今日の宿  ゴーサウ チンマ(民宿) 5000円 二人朝食付 

安くて本当に有り難い。

さらにまだ明るいので約 20 Km 下った世界遺産ハルシュタットにも行く。
ハルシュタット湖に面して帯状のとても狭い町だ。道路は町の上の方をトンネルで抜ける。
駐車場も少ないが遅いせいか道路脇の数台の所に停められる。町に階段で下る。
美しい町なことは確かだ。

本日のレンタカー走行距離 375 Km



1998年7月18日 (土)

またまた夜に雨が降って爽やかな朝だ。山の中腹で雲が出来るのを初めて見る。

ゴーサウの朝


ザルツブルクに戻る。同じ道は面白くない。ヴォルフガング湖は通った。
バートイシュル、アッター湖、モント湖と進みアウトバーンに入る。

ザルツブルクはホーエンザルツブルク城山を掘った駐車場に入れる。
普通掘ると地下へ、つまり下へ下へと階層が下がるがここは地下で、と言うか地中で上へ上へと登ってる。
地下の「上 3 階」?に停める。

おなじみモーツアルトさん宅だ。満員だけど入る。

ホーエンザルツブルク城に行く。


魔笛の特別展を見る。
ミラベル宮殿では日本人母子が横付けの車から降りてきて 30 分後にお迎えにきます、と言われてる。
ツアーのオプションかなーーー 時間に縛られるのはつらいが楽なことは楽だ。

モーツアルト像


先ほど通ったモント湖サービスエリアで車に残った食料をすべて出して湖を眺めながら 4 時だけど昼食だ。
ここは中央高速諏訪湖サービスエリアとちょっと似ている。今回の旅での雪山の見納めだ。

ウィーンが近づく。広いウィーンでの宿探しは面倒だ。アウトバーン終点のアイゼンシュタットに行く事にする。
今までドイツではヒマワリの蕾ばかりだったが両側一面満開だ!! カアサンはバンザイ!!

アイゼンシュタットではハイドン博物館前のガストホフにする。

今日の宿  アイゼンシュタット G ハイドンハオス 7100円 二人朝食付 

本日のレンタカー走行距離 470 Km



1998年7月19日 (日)

駐車場は前の道路の駐車帯だ。夜は無料、日曜は無料で好都合。

目の前のエステルハジー城に行く。ガイド付きツアーだ。ハイドンが指揮をしたホールがある。


すぐ近くにはハイドンの棺がある教会が有る。行く。


前回はハイドンの生地ローラウに行っている。これでハイドンは「完了」だ。

時間があるのでハンガリーのショプロンに行くことにする。
車は条件でハンガリーに行かれない。【 追記ー今は無条件 】鉄道で行かなくてはならないが
アイゼンシュタット発は日曜は運休だ。
ヴィーナーノイシュタット発をエーベンフルトで捕まえる。
列車が入って来たが駐車場で手を振ると待っていてくれたのには驚いた。
ここからはヒマワリ畑の連続だ。これだけでも来て良かった。

ショプロン駅では入国審査がある。簡単なものだ。

実はこの旅、最初ブダペストの時に 2000 フォリント、約 1400 円残してしまっている。今日「処分」する。
まず町の火の見の塔に登って町の全容を確認する。屋根の揃いが美しい。

昼食で「処分」するが使い切れない。戻った駅のキオスクでゼロにする。

今回の旅だけで 11 回目のオーストリア入国だ。スタンプが山ほどだ。

オーストリアに戻り車を出してノイジートラー湖に行く。ステップ湖だ。地理をやったから知っている。
オーストリアにいっぱいある山間の湖に比べると景観的には劣る。意外に大きい。

駐車場の料金徴収が 6 時で今終わった所だ。 すなわち無料!
日光浴の人たちがみな帰り支度だ。我々もすぐ引き上げる。

宿ではテラスで一緒の「紳士」がハンブルクの有力者でハンブルクがトラムを廃止したのは失敗と言っていた。

今日の宿  アイゼンシュタット G ハイドンハオス(二泊目) 7100円 二人朝食付 

本日のレンタカー走行距離 101 Km



1998年7月20日 (月)

路上駐車が 7 時から有料なので “ 葱坊主 ” にコインを入れに行く。戻ってもう少し寝る。

空港へは 1 時間足らずだ。
まず駐車場に入れる。

大胆にも一流ホテルの空港に飛び込みだ!! 今回最高値!!!

今日の宿  ウイーン H ノボテル 空港 19500円 二人

車から荷物をホテルに運ぶ。
レンタカーの返却に行く。5285 Km。 一台目と足すと 11000 Kmだ。 東京・大阪 10 往復だ。

“ ウィーン ” に行く。カアサンは買い物、私はトラム。
4 時にグラーベンで待ち合わせて大ショッピングセンター、ドナウツェントルムに行きお土産、お食事にする。

本日のレンタカー走行距離 67 Km

         今回二台目の レンタカー代金 172060 円 (一日当り 8600 円)5642 Km
          6/29 に記載 = 一台目  レンタカー代金 116300 円 (一日当り 5540 円)                                  5429 Km
                  2 台の合計   288360 円   11049 Km


同じ車種なのにスイスに比べてオーストリアはかなり高い




1998年7月21日 (火)

昨日全く知らなかった新車を見てしまう。空港のスナックで朝食を取りながら考える。
見た以上は写すべきだ。買ったフィルムが一本ある。昨日の 24 時間券が有効だ。

昨日は 62 と 67 系統で新車が走っていた。まず 62 の運転手に走っているか聞いてみる。
走っていない、と言う。念のため半分より先マイトリンクまで行ってみる。来ない。まごまご出来ない。
15 A のバスで 67 系統に行く。交差の所で偶然出くわす。即後続の 67 で終点 2 つ手前まで追いかけて待ち伏せる。
ファールシューレ(教習車)と書いてやってきた。写してまた次のに乗り反対側終点手前で待ち構える。

途中一輛も会わなかったので今は一両だけだ。 フィルムも終わったので終わりにする。

シュテファン広場のシーフードチェン「ノルトゼー」で最後の食事をする。4 時間前に空港に戻る。

あらかじめ荷造りから別にしておいた下着一式を持って洗面所に行き、お湯で身体を拭いて全取っ替えをする。
パンツの履き替え時は注意が必要だ。カアサンと荷物番をしながら交代する。

例によってどこから湧いて来たんだ!と思うほどのロビーいっぱいの日本人と一緒にチェックインをする。



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