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本体の「路面電車の写真」などと重複する写真があります






1998年5月27日 (水)

7 時のバスに乗るために 6 時に出る。二階建てトイレ付きの豪華なバスが停まっている。

ウイーンへのアウトバーンでは数回、客を乗せるためか外に出る。
国境付近はいわば草原地帯だ。遮るモノはない。東西に分かれていた時は多分鉄条網だったと想像する。

パスポートにオーストリアのスタンプ、自動車印が付く。


各国スタンプには特色が有るがオーストリアは利用する乗り物による。飛行機、汽車がある。
別のページに数日前にブラチスラバ往復時の船印がある。自転車、徒歩印はあるのかな?


バスは国鉄ミッテ駅に着き U バーン(地下鉄)で西駅に行く。
ブダペストの地下鉄の経験で「かあさん」は周りを見渡すがここは危ない感じは全くない。
西駅で今夜のパリ行の一等寝台を買う。二等で良いのだけれど強行軍だしパスは一等だ。
でも追加料金一人約 10500 円だ。一部屋 21000 円のホテルに泊まるのと同じだ。

頼んだ現像を取りに行く。
文房具屋にイボイボ封筒、セロテープ、サインペンを買いに行く。
郵便局で日本に送る。

列車は 20 時 28 分発「オリエント急行」だ。無論豪華なやつとは違う。
1982 年に全く同じコースに乗っている。今回の車両はあまり良くない。残念!


当たり外れは仕方が無い。腐っても一等だ。お湯は景気よく出る。身体をすべて拭く。




1998年5月28日 (木)

パリ東駅に着く。夜行列車で朝パリに着く。この感じは堪らない。
横光利一の「旅愁」ではマルセイユから着いた。ムカシ読んでしびれた。
まず宿予約に ( i ) に行くがホテルの予約はしなくなった、とのことで
では一気に最初のトラム都市ナントに向かうべく TGV 出発駅モンパルナスに向かう。
パスが今日中使える ( 夕べウィーンからの夜行から)という有利点もあるから即決といった感じだ。
まず予約を取ってしまう。予約しないと乗れない。指定料一人 20 フラン、約 480 円だ。
希望のは満員で一本あと 15 時 40 分でなおかつ二等のみだ。マア行ければ良い。

ロッカーに荷物を預けてメトロ(地下鉄)に乗る。小雨で傘をさしながらノートルダムから
ルーブル方向に歩き始める。コンコルド広場からメトロで戻る。

セーヌの人道橋、芸術橋と言うのかな?


パリのメトロは地上も走る。 モンパルナス駅に戻る。


TGV の 2 等は特に記すべき点はない。 ナントに着く。
ナント駅はサッカーワールドカップの準備でゴッタメチャだ。( i ) もパンフレット倉庫になっていてつまり休館だ。
「かあさん」にキオスクのコーヒー店で荷物番をして貰って至近の小さなホテルを押さえる。

今日の宿  ナント H テラッセ 5490円 二人朝食付

すぐに駅に折り返し明後日のグルノーブル行の TGV の指定を取りに行く。
パリ乗り換えだが幸い両方とも一等が取れた!!

二つの列車、さらに二人分が一枚の指定券、合理的!



1998年5月29日 (金)

ワールドカップ、ここは日本戦があるんだ。昨日 ( i ) の倉庫に「日本語」が山積みだった。

明け方までに雨はあがりカラッとぬける晴天だ。
出来たてのトラムを写しに行く。想像以上に美しい町だ。工事個所はメチャメチャだけどーーー
城壁とトラム、運河とトラム、一見公園と見まがう大学とトラム、組み合わせに忙しい。


ナントのトラムのチケット


ヴァリグブラジル航空の広告車、次のワールドカップだっけ?


午後は大西洋を見に行くことにする。
路線図でレサーブルドロンヌに決める。ローカル線で 1 時間半だ。
ハンガリーよりは絵になる田園風景が続いていきなり海だ。
観光地で良く整備されている。地方の町といった感じではない。




駅に戻って 20 時 10 分のナント行に乗ろうとしたが列車がない。聞くと今日は終わりと言う。
日本と違って曜日に依って時刻が変る、あるいは列車がない、と言うことはトーマスクックで知っている。
でもまさかここでと油断があった。
サアどうするか。

駅で聞くと 40 Km 先のラロッシュシュールヨンから 40 分後にナント行最終があるという。
タクシー乗り場に走る。一台が行ってくれる。
運転手は気合いを入れてぶっ飛ばす。「かあさん」が後ろで騒ぐが動じない。
20 分の余裕で着く。 チップ込み 370 フラン、約 8900円でナントかナントにたどり着く。

今日の宿  ナント H テラッセ(二泊目) 5490円 二人朝食付 



1998年5月30日 (土)

7 時 34 分発パリモンパルナス行の TGV は出来たての新車でさらに一等だ。快適だ。快適だとすぐ着いてしまう。

モンパルナス駅でさらに明後日、6 月 1 日のボルドーからイルンの TGV とそれに接続するイルンからポルトまでの
2 等クシェット(簡易寝台)を予約する。ここの窓口はサロン風の部屋になっていて綺麗だ。係も感じが良い。

グルノーブル行まで 5 時間ある。グルノーブル行が出るのはパリリヨン駅だ。メトロで移動しなければならない。
数通りの行き方があるが一本では行けない。将来的にこれは問題と思う。
リヨン駅に着いて荷物を預けようとするがコインロッカールームのシャッターが下りている。
聞くとセキュリティ対策で閉鎖で川向こうのオステルリッツ駅が預け可能と言う。
橋を渡って 15 分歩く。 X 線探知後にロッカーにたどり着くシステムだ。
一昨日モンパルナス駅ではすんなりだったがたまたま OK の駅だったんだ。

ルーブルには時間が不足してきたのでエッフェル塔に行く。
対岸のシャイヨー宮の前庭ではワールドカップ開会式の準備で大わらわだ。
凱旋門、シャンゼリゼ大通りと型どおり進む。

手前ワールドカップ開会式場の準備



ワールドカップ記念絵はがきを郵便局で買う。
息子にワールドカップ記念 T シャツを買う。

グルノーブル行は 20 輛の長大編成だが 1 号車で助かる。
つまりパリリヨン駅は行き止まり櫛の歯状の駅だ。20 号車だったら遙か先まで歩かなくてはならない。

明るいうちにグルノーブルに着いたので駅から一分の宿に荷物を置いて写しに出る。
宿はとても小さいがこざっぱりしている。。安くてご機嫌!

今日の宿  グルノーブル H アリス 6400円 二人朝食付 

ここもトラムは新設されて日が経っていない。連接の車両で良いデザインだ。



1998年5月31日 (日)

雪を頂いた山々が取り囲む。空気が澄んでいるので近くに感じる。
他ではあまり例がないと思うので山とトラムの組み合わせに苦心する。




グルノーブルのトラムのチケット


バスティーユ城塞に行くロープウェイ


日曜の広場はたいへんな人出だ。


11 時 42 分発ニース行 IC に乗る。ジュネーブ発だからずいぶん複雑なコースを通るんだろう。
空いている上に新車だ。たしかコラーユ型客車だと思う。一等のオープン車に座る。再度書くがガラ空きだ。

マルセイユのトラムを写すのだが明日の晩は夜行でスペイン行だ。
マルセイユはフランスでは 2 ~ 3 個所しか残っていない以前からの路線で貴重だ。絶対に外せない。

アビニョンに宿を取り荷物を預けて今日中にマルセイユを往復して明日ボルドーに向かうのが理想的だ。

アビニョンで降りると前も見えないほどの豪雨だ。稲光も光る。なかなか止まない。
思い切って駅を出て正面右に曲がってすぐそこの宿を取る。

今日の宿  アヴィニョン H コルベール 5880円 二人 

荷物を置いて駅にびしょびしょで戻ると雨が止む。15 分待てば全く濡れなかった訳だが過ぎたことは仕方が無い。

駅では列車がイッパイ停まっている。当初予定した我々のも数時間停まっている。落雷停電のようだ。
次々出発する。

カラリと晴れ渡ったマルセイユ、トラムを追いかけるが何と犬のウンチがそこここだ。結構注意が必要だ。
「かあさん」と声を掛け合いながら進む。 残念ながら観光の時間はない。駅に戻る。

マルセイユのトラム


マルセイユのトラムのチケット


【 追記ーかなりな事件なので色を変える 】
出発表示を見ると我々の 20 時 10 分が無い。仕方がない。では次の 21 時36 分は、ない!
先日ナントで曜日に依る変化に失敗したばかりだ。失敗が生きないとな、と思ったが
再度時刻表を見る。 ( 7 ) と記号無しだ。。7 は日曜日、記号なしは毎日だ。つまり二本とも有るはず!
どうも嵐のせいらしい。
夜行列車は出るようだ。ホームにパリ行とリール行が同時に右左に入ってくるがそのホームは人でぎっしりだ。
思うに週末南仏でパリなどに朝帰り組だ。 座るどころか乗るのもままならない。
右往左往ののちパリ行のデッキに何とかぶら下がる。リール行にはとても乗れない。
22 時 04 分発と 09 分発がほぼ同時に出る。アレ、すぐに線路は一本にではーーー
余計な心配より自分の心配だ。

こんな中でも検札が来る。次はリヨンという。エッ!アビニョンは停まらないんだ。350 Km 先だ。
デッキの人たちは無責任にも笑っている。車掌まで笑っている。
1 時 15 分にリヨンに着く。待合室は警官が守ってくれるから安心だ。
反対方向 2 時 15 分発ニース行に乗りアビニョンにたどり着く。
清掃員が立ち働くすがすがしい朝もやの中を宿に戻りシャワーを浴びて 5 時半に寝る。




1998年6月1日 (月)

3 時間寝て 8 時半に起きる。駅にツールーズまでの TGV チケットを買いに行く。
TGV など指定が必要な列車はユーレールパス以外に指定券を買わないと乗れない。10 時 53 分発、14 時着だ。
相変わらずロッカーは使えない。それどころかゴミ箱までカバーが掛けてある。よく分からない。

熟考の末、ポルトガル、スペインを終えて土曜日にここアヴィニョンに戻ることにする。
宿に土曜日を予約して荷物を預かって貰い、短期間必要なものだけ持って行く。



列車は次第に左右とも水気の多い所に進んでいく。地理学で習ったラングドックルシヨン大規模開発計画の
ラングドックルシヨン地方だ。たしかミディ運河もここからだ。結構楽しい路線だ。
ナルボンヌからはブドウ畑を上って行き左にカルカッソンのドデカイ城壁が見えてくる。

ツールーズでは乗り換えに 2 時間あるので周囲を見る。
何とここもナント同様ワールドカップ日本戦がある町だ! 急造の日本語が散見される。


ツールーズ キャピタル広場


ローカル列車でボルドーに着く。町は離れていてバスだ。ガロンヌ河畔が整備されて心地よい。

ボルドー駅


ガンベッタ広場


ボルドーからの TGV は大西洋沿岸近くを走るが景色は一変して松林が続きちょっと日本的だ。

ボルドーからイルン(スペイン)も TGV なので指定券が必要


スペインに入って最初の駅がイルンでここで入国審査があり寝台急行リスボン・ポルト行きに乗る。
クシェット(簡易寝台)は 6 人部屋で我々、若いカップル、母子と空きはない。
TGV も満員だったし、この列車もだ。当日購入でよく取れたと思う。

イルン → ポルト(ポルトガル)寝台券、ボルドーでイルンまでのと一括購入




1998年6月2日 (火)

廊下を通る食堂車のボーイのベルで目が覚める。廊下に出ると素晴らしい渓谷を走っている。水墨画のようだ。

ポルトカンパーニャ駅に入る直前のドウロ川の谷間の町は息をのむ。

ドウロ川とドンルイス一世橋


カンパーニャ駅から町までは徒歩 20 分だ。ブラブラ歩く。美味しそうなケーキが並ぶ。今一文無しだ。
シティバンクのワールドキャッシュで下ろそうとするが出来ない。ATM にマークがない。
( i ) のある市庁舎まで行って「大銀行」に行くが下ろせない。
現金両替か、クレジットのキャッシングかーーーー  とりあえず 1 万円両替をする。

繁華街真ん中のペンションを決めてすぐに写しに出る。

今日の宿  ポルト P レジデンシア パリ 4500円 二人朝食付 

坂を下ってサンフランシスコ教会の脇からドウロ川に出る。そこにクラシック観光トラムがあるはずだ。
が、今そこら中ひっくり返して大工事だ。参ったなーーー

中心に近い所は工事で架線も外してる


聞くと河口に進んだ方では走ってる、と言う。 遙か向こうに電車らしきモノが見えてくる。
そこが今の出発点で営業所兼路面電車博物館だ。何と 20 台近くのクラシックカーがピカピカだ。
半数が可動で観光に使うという。

路面電車博物館






観光客が少ないせいか本数が少ないので乗らないで追いかける。今 2 Km 程度の岬の所が終点なので全線歩く。
川岸はひなびた感じがトラムと合う。異なる種類を出してくれて助かる。




ポルトのトラムのチケット


切符不要?


「かあさん」は物価が安いのでご機嫌だ。二人でコーヒー、ケーキで約 300 円だ!!

ペンションに帰る。昔は名門ホテルだったと思う。玄関から階段まで大理石で色を変えて名前が埋め込んである。
部屋は不必要に広い。トイレ、シャワーが後付けで換気がない。
昔部屋に水回りの無いときに浴場室があったはずだ。くまなく歩き回ってズバリ探し当てる。
バスタブ室を使い洗濯もする。 ポルトワインで乾杯する。



1998年6月3日 (水)

夜半大雨だったがあがる。良いリズムだ。少し寒い。と言うより昨日までが暑すぎた。
リスボンに行くためカンパーニャ駅に向かう。特急アルファが最上級だが次の IC にする。チケットは昨日買ってある。
今回も乗ると席は一つも空いてない。毎回良く取れたと思う。


リスボン終点サンタアポローニャ駅の一つ手前に近代的な駅が出来ている。
新設万博駅で全く知らなかったが今リスボン万博だ。




万博のせいかどうか分からないが中心のロシオ広場はぶつからないと歩けないほどの混雑だ。
宿は選んでいられない。とりあえず押さえる。 あまり良くない、と言うか悪い。

今日の宿  リスボン P モニュメンタル 6500円 二人

ポルトガルを脱出する指定券を押さえないと大変だ。
はっきり言ってリスボンは「陸の孤島」だ。
昨日来たスペインのイルンからの夜行が一本、マドリッドからの夜行が一本、通常のコースはそれだけだ。
明日夜のマドリッド行きを取りにロシオ駅に行く。ここはオンラインではない。
電話連絡後 5 分で OK で一安心。ただし 2 等座席だ。指定料 1 人 1100 円だ。指定券は手書きだ。


取れたところでマドリッドの先を考える。遅れている、と言うより予定が無理だった。

種々考慮して予約をして荷物を置いてるアビニョンの宿に公衆電話で一日遅らせてもらう。
同じ電話で日本から予約をしていたジュネーヴでのレンタカー予約を月曜午前から午後に変更する。

無事予定がたったところで世界一と書かれているトラムに挑戦だ。 
急坂の上り下り、急カーブ、狭い道、実に楽しい。スリルもある。
二軸車独特の揺れも楽しい。


リスボンのトラムのチケット


路面ケーブルカーも押さえる。


宿は良くない。ア、書いたかーーー  夕食はスーパー調達だ。名物タラの唐揚げでビールとする。



1998年6月4日 (木)

リスボンの町は起伏が大きい

港を見下ろす


今日はテージョ川に沿って最近入った新車が走るコースに挑戦する。こちらは平坦だ。


突然、日本人の大群に出会う。観光バスも “ 大群 ” だ。日本人だけではない。
聞くとここは世界遺産でジェロニモス修道院という。
入らない訳にはいかない。約 300 円。
大航海時代の富をすべてつぎ込んだ、とある。確かにこれほどの建物はそんなには見ない。

ジェロニモス修道院と新型トラム


中庭


発見のモニュメント


今後はトラム以外にも注意を払うべきだ。特に世界遺産。

ここぞと言うところには日本人がいるのがスゴイ!

万博専用バス 301 で万博に行く。昨日の万博駅前が万博だ。入場料一人5000 エスクード、約 3200 円だ。
かなり高いと言える。  そして初めて通貨の単位と交換レートを知る。

中はまだ各所で工事中だ。時間的にどうせ全部は入れない。日本館は行列が長く入れない。

万博会場


現金が逼迫しているのでマクドナルドがカード OK なので入る。
我々のカードで新人研修をしている。皆で持ち回っているがマア心配ないだろう。
今やマクドナルドはトイレ利用のみならずナプキン供給所にもなっている。

マドリッド行き夜行列車はタルゴと言ってスペインの看板列車だ。でも一番古いタイプだ。勿論満員。



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