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本体の「路面電車の写真」などと重複する写真があります



2000年4月3日 (月)

ルクセンブルクイビスホテルは部屋から飛び立つのが見える。


朝食の卵が生だった。私はいつもナイフで一周割れ目を入れてから半分にしてスプーンですくうやり方なので
割れ目から中身がにじみ出してきて変だ、と気づいた。
が、隣のアメリカ人のカップルはポンと割って失敗したようで、こちらの様子を窺っていたが
ちょっと残念そうだった。
脇に茹で器があり好きな堅さに自分で茹でるわけだ。

空港に行きルクセンブルクの切手を買って手紙を出す。

7 日朝にドゴール空港で車を返す。カアサンが今回絶対に行きたい所はモンサンミッシェルだ。
一昨日ハイルブロンが未開通だったりヴァインハイムを止めたりで予定より 1 日 2 日早い。十分行ける。

ベルギーとフランスの国境沿いを進むが高速はない。フランス側にはムーズ渓谷がある。
地図で蛇行の激しいどの部分に行くかを検討する。方向性も重要だ。
シャルルヴィルメジェールから北に折れて田舎道をモンテルメに向かい適当な所で谷に下る。
台地と谷はかなりの高低差だ。 ムーズ渓谷と言うらしい。


上の田舎道も楽しいが谷沿いもまた趣がある。全く雰囲気が異なるのが面白い。 谷沿いを進む。
地図で見るほど蛇行が感じられない。川沿いはかなりの観光地のようで案内がしっかりしている。

川は北に向きを変えてベルギー、オランダ方面に向かうのでルヴァンで左岸をよじ登って台地の田舎道に出る。
菜の花が咲き始めている細道を 1 時間ほど走ってサンカンタンに着く。




大聖堂




知らなかった町だが世界遺産の町にも見劣りしない。
たまたまノートルダム寺院の前にイビスホテルが有ったので、隣町アミアンのイビスを予約して貰う。
いつもの事だがイビスチェン以外では考えられないサービスだ。会員証があるからアッという間だ。

アミアンに着く。 車をホテルに入れて世界遺産の大聖堂に行く。




今日の宿  アミアン ibis アミアン 8910円 二人夕朝食付 P

昨日に続いてイビスで夕食だ。3 段階の値段で選ぶから明快だ。最上位から選ぶ!!
メニューはフランス語だが今夜は昨日の失敗を繰り返さない。

本日レンタカー走行距離 433 Km



2000年4月4日 (火)

朝トラクターの大群と警察車両の大群が押し寄せる。ストだ!! 早く出ないと封鎖だ!
食事もそこそこに町から飛び出す。

慌てて出たので西に向かう道を一本北側に間違えてつまり国道ではなく 211 号の田舎道を進んでしまう。
双方かなり離れて移動は面倒だし、田舎道は狭いけど楽しい。国道は 110 キロ制限で田舎道は 90 だ。
でも 90 で十分だ。日本なら 40 キロだ。 さらに延々ルーアンまで続いている。

牛糞が時々落ちているのが欠点と言えば欠点

ノンビリ走って 11 時に着く。セーヌ川沿いの駐車場に入れて何日かぶりに本格トラムを追い回す。




トラムは橋を渡るが両端ともすぐに地下に入る。北は駅まで地下が続いている。


ドイツのような木組みの家が有るのが不思議だ。歪んでいるところまで同じだ。


帰りにも寄る予定なので切り上げて 3 時に出る。ここからは高速で 150 Km を一気に進む。

今朝予約して貰ったイビスアフランシュに 6 時に着く。
田舎のこじんまりしたタイプのイビスはシャブリ以来だ。

玄関の上にモンサンミッシェルの絵が有るからモンサンミッシェル “ 御用達 ” だ。

今日の宿  アヴランシュ ibis アヴランシュ 7800円 二人夕朝食付 

本日レンタカー走行距離 401 Km



2000年4月5日 (水)

モンサンミッシェルは築堤で繋がっていて上を道路が走っている。手前で全景を写す。

砂をどかして駐車場作りをする。多分潮が引き始めたら毎回かーーー

それでも停められるのはこれだけ、後は遙か向こうの本土に停めて歩きかバスでーーー

我々は No.1 の場所、最高!!!


分かりきっている事だが今の時間帯が満潮の時は殆どが本土側駐車になる。

土産物屋の関門を通らないと進めない


修学旅行?

40 フラン、約 650 円、 決して高くはない!


島の中でのお食事は特製オムレツが定番だが並んでいるし高い。 本土でお昼にする。

帰りは本土の湾を巻くように回り込み要所要所で停めてモンサンミッシェルを望む
昨日泊まったアフランシュの城塞から


30 Km 北に進んだゲントから


グランビルまで海岸伝いに来る。干満の大きな所だ。港の底が見える。


東に転じて田舎道 512、511 と十分に田舎の村々も観察して予約して貰ったイビスファレーズに着く。

今日の宿  ファレーズ ibis ファレーズ 5010円 二人朝食付

この町にも立派な城塞だ。


城内ではチューリップの品評会だ

ヨコハマと言う品種がある


本日レンタカー走行距離 249 Km



2000年4月6日 (木)

再度ルーアンに到着、 ノートルダム寺院


ウサギがいっぱい、 世間はイースターだ。


今回は今日ルーアンに戻ってくるので現像をここで出してみた。
ポジを一枚ずつのスライド用にしないようにロールでくれるように何回も念を押したので大丈夫だった。
が、ネガの方は現像だけのお願いが同時プリントになってしまう。
フランス語だから不安だったが的中する。約 18000 円の大出費!

明日車を返して飛行機で移動だ。地図、ガイドブック、パンフレット類、現像したフィルムなどを
段ボールに詰め込み郵便局から日本に送る。4.5 Kg で 345 フラン、約 5500 円だ。

トラムは先日小雨も一時降る悪天候だったが今日晴天でここぞ、という場所を再度押さえる。

今思ったが昨年パリ市内からサンドニ方向のトラムが雨の中の撮影だった。
同じく再度写し直しをする事にして向かう。

100 Km ちょっとだが高速で急ぐ。サンドニ近くでセーヌ川の蛇行が邪魔をして 2 時間掛かる。無事押さえる。

夕べ取って貰ったイビスサンリスへは 30 分ほどだ。サンリスの町を一巡りする。

今日の宿  サンリス ibis サンリス 6040円 二人朝食付 



サンドニの町は庶民的、というかアフリカンの町のようで安かった。中華のデリカで買ったおかずで夕食にする。
7 種類を 100 グラムずつパックに入れてくれる。パンも入れてたったの 75 フラン!!

本日レンタカー走行距離 357 Km



2000年4月7日 (金)

朝、車の窓が凍っていて仰天する。4 月だよなーーー

無傷で BMW を返す。 思い返すとこれでナポリまで行ったとは信じられない。
7892 Km ”一日僅か5300 円の計算だ。最初に記したが料金は “ 特別 ” だ。
運転の感想はどちらかというと昨年のオペルアストラの方が良いような気がする。

本日レンタカー走行距離 30 Km

( BMW-320D ) レンタカー走行距離計 7892 Km

パリ発ミュンヘン行き

バイエルンアルプスかブレゲンツァーヴァルトかのどっちかだ。

今度の車はフォードフィエスタ 1000 cc 、なんかこの車の方が安心。
特に旧ユーゴ、ハンガリーなどに行くから細かい傷があるのもプラス要因。

この車は 27 日にハンブルクで返す。そして 29 日にストックホルムに移動する。
急がなくても良いが列車のチケットは押さえられる時に押さえておく。
ミュンヘン中央駅に行きハンブルク→ストックホルムの乗車券、指定券を取る。どさっと 6 枚チケットがくる。

イビスミュンヘンノルトに落ち着く。

今日の宿  ミュンヘン ibis ミュンヘンノルト 5870円 二人 

レンタカー走行距離 57 Km



2000年4月8日 (土)

今晩から「東欧」だ。イビスホテルはない。イビスの有るここで今後予定のイビスを押さえて貰う。
18、19,20 日のウィーン、21 日のプラハ、22、23 日のベルリンだ。

ミュンヘンノルトはアウトバーンまで 2 分だ。
土曜日はガラ空きの予定がとんでもない。ぎっしりだ!! スキー板を積んでいるから週末スキーだ。
のろのろだが多分インスブルック方面に行くはずだからローゼンハイムで空くはずだ。
良かった、その通りーーー  その後ザルツブルク方面は快適だ!

私にとっては気楽なこの車もカアサンは尻が痛いと言う。車格が違うからなーーー

オーストリアのサービスエリアで遅い朝食


E-55 のトンネル


国境では罰金を払う羽目になる。知らなかった事だが�オーストリア高速道路の通行シール(名称不明)を
フロントガラスに貼っていなかったからだ。1100 シリング、約 8200 円也!

スロベニアに入ってサービスエリア

あまり必要はないと思うが一応地図も買っておく


リュブリャナに着く。
レンタカーの契約でクロアチアに行けない。 ここに泊まって明日鉄道でザグレブ往復をする。

駅にまず行きリュブリャナ、ザグレブ往復のチケット二等を買う。


次に宿だ。ここはいくつか選択肢が有る。
実はこの後サラエボにも行く。サラエボは戦火が収まって間もない。サラエボの宿はホリディインしか分からない。
よってここリュブリャナのホリディインに泊まって予約して貰うのが良い。高いけどーーー

今日の宿  リュブリャナ ホリディイン 14600円 二人朝食付 

無論この都市最上位だから部屋が悪いはずがない。 2 泊頼んで重要なサラエボの予約もお願いする。


とても狭い町だ。山の上のリュブリャナ城に行く。上に行くのは習性みたいなモノだ。でも町の全容が掴める。

山上は市民でかなり賑わっている


繁華街の三本橋、何で三本有るかが分からない。


レンタカー走行距離 449 Km



2000年4月9日 (日)

朝食の品数が非常に多いが特においしいモノはない。カアサンはヨーグルトが大好きだが残す。
隣の国に行くのに持ち物はカメラと傘だ。雨にはよく会うが傘はまだ未使用だ。

列車は時刻通りで何とチューリッヒ発の EC だ。車両は特に良くはない。


列車はかなり長い間、渓谷に沿って進む。単調だが悪くない。


2 時間 20 分でザグレブに着く。ここは戦火の跡はみえない。

ザグレブ中央駅前  かなり大きな広場


  



写しながら共和国広場に進む


共和国広場をトラムが横切っている。多くの系統が通る。




ザグレブ以外では見ない形が有るので撮り逃がさないよう注意する。 町中ケーブルカーも押さえる。

人当たりが良いので快適だ。 そしてフランスなどより良い点、犬の糞が全く無いこと。

帰りの列車は今度はヴェネツィア行きでイタリアの車両だ。
今度は国境警備が厳重で棚の上に登ったり床下を見たりする。荷物ではなく人が隠れてないか見ているようだ。

リュブリャナ駅前のピザ屋で夕食にする。ウエイターはアルバニア人でアルバニア国籍ではないと言う。
マケドニア国籍のアルバニア人という。旧ユーゴの今の状況か民俗の誇りか分からない。
とても話したがるが言語の壁は厚い。

今日の宿  リュブリャナ ホリディイン(二泊目) 14600円 二人朝食付 



2000年4月10日 (月)

こぶしの花盛りだ。 チューリップも満開だ。でも寒い。 気温のバラツキが大きいのか?

ハンガリーに行くためマリボルに向かう。
実はスロベニアにはもう一つのトラムの町オシエクが有る。しかしこちらからは遠い。
よってハンガリー側から攻めることにする。つまりハンガリー最寄駅りから鉄道でオシエクに行く。
うまくいくかは分からない。

道はのどかだ。左 20 Km はオーストリア、右 30 Km はクロアチアだ。100 Km 進むとハンガリーだ。
国境では 6~7 台ほど停められて車内全チェックだ。30 分ほど待つ。
我々のは中は調べない。ただ雑談が長い。中でパスポートチェックと想像する。英語の練習かもしれない。

ハンガリーに入る。すべての車がヘッドライトを点けている。規則かもしれないので点ける。
車で通るのは初めてだが地図はすでに持っている。


バラトン湖に出る。ケストヘイだ。 湖畔の家々はシーズンにはペンションと思われる造りだ。


おしゃれなカフェが有るので入る。名物のパラチンタを頼む。 コレはかなりの味だ。

焼きたてのクレープにカアサンはホットチョコレート、私はホットアプリコットジャムをかける。

カトリック教会


コシュートラヨシ通り、ここにいると田舎町とは思えない

正面に宮殿が有るが今日は休館だ

椅子にカバーを掛けるのが習慣、というかどこかがやれば右へならえ?


ペーチに車を置いて鉄道で国境を越えることに決定。

ハンガリーの更に辺境を進む。畑の中を 10 Km 程度ごとに村が有る、と言った感じだ。
すべての村の通りは桜が満開だ。日本とは違ってピンクが濃い。

ペーチの 10 Km 程度手前に牧場の中にコテージがあり宿になっている。
珍しいので泊まることにする。

一棟貸し切りで二人で朝食がついて 3000 円と信じられない

今日の宿  ペーチ P 3070円 二人朝食付 



夕食はハンガリー名物グヤーシュとサラダ盛り合わせ、とても美味しい。英語が通じる。

レンタカー走行距離 486 Km



2000年4月11日 (火)

ここに 2 泊して今日クロアチア往復を考えたが夕べカアサンの入浴時に湯が途切れた。
今夜もまたでは困るのでペーチ町中に行くことにする。

駅の近くが良い。 No.1 のホテルパトリアを決めて車を置いて駅に行く。

今日の宿  ペーチ H パトリア 7040円 二人朝食付 

目的地クロアチアのオシエク行きは一日 3 本だがうまい具合に始発が 11 時 05 分で間に合う。

当然帰りの時刻も確認する。 2 両のジーゼルが動き出す。

車はガラ空きだ。一時間足らずで国境だが我々はここで降ろされる。
係官が来てパスポートを持って行く。列車は出て行く。  参ったなーーー
国境警備員も税関職員も英語が話せない。待つ以外にない。

次のペーチ 13 時 10 分発のジーゼルがやって来る。これに乗れなかったらもう行くことが出来ない。
ジーゼルは止まったまま動かない。

車が横付けされて責任者らしき男性と若い女性がやって来てパスポートを返してくれる。
女性は通訳で問題ないと言う。とても通訳とは言えないが何とか通じる。

列車は我々を待っていたわけだ。

走り出して 1 分でクロアチア側検問だがこちらは税関職員の女性が英語を話すので 2 分程度で終わる。
一本遅れ、さらに 30 分遅れでオシエクに着く。

オシエクの町はドナウ川の支流、ドラウ川が町を流れる。かなりの大河だ。
川を見つめるピカソ、 設置理由は不明


オシエクのトラム




町のあちこちに弾痕が生々しい。カアサンの気分が悪くなる。
最初気がつかなかったが気づいて注意して見渡すと至る所壊れたままだ。 とにかく戦争だもんなーーー

ところで我々は廻りの全員に見られている。観光客はゼロだ。

大聖堂


洋品店の店員の英語が上手なのでビックリする。さっきの税関職員もうまかった。

4 時間で最終列車だ。帰りは逆にクロアチアの警備隊員が不審に思ったようだが税関職員の女性が
交代で別の人だが英語を話すのですぐ OK となる。
ハンガリー側は申し送りが有ったようですぐに済む。 列車を乗り換える。

ここで分ったこと、 一日 3 本の列車は両方から始発が相手国に行きそれぞれ二番列車で戻る。
最終、三番列車はそれぞれ国境まで来て客が乗り換えて折り返す、だ。 マア合理的!
客はいるがそれぞれの国内で国境越えは帰りは我々だけだ。

ホテルでは我々の到着時間を知っていた。 個人的に国境で止められたのは初めてと思う。

レンタカー走行距離 27 Km



2000年4月12日 (水)

この後、キスクンハラスに車を置いて鉄道でユーゴのベオグラード行きの予定を今回は止めにする。
毎日出入りは不審に思われるしベオグラードは飛行機で大都市から行くべきだ。

更にルーマニア国境から鉄道でアラド行きも止める。ルーマニアは別に行くべきだ。

大巾に日にちが余って 2~3 日早くオーストリアに戻る事になる。
その前に折角だからペーチを見物する。陶器ジョルナイがここだったんだ。
工場と博物館に行く。現地でもとても高くて買えない。

バジリカ(大聖堂)




またまた楽しい田舎道だ。この辺りは山はない。小さな丘の繰り返しだ。

踏切は列車が来た時だけ止まる


行く手に横たわる長さ 80 Km のバラトン湖をかわさなくてはならない。東側を廻る。
湖畔の観光地シオフォク

スロベニアを出るときにお金を使い切るために買ったボトルのお水、これがほんのり甘い。
Mg と書いてある。炭酸ガスは味が無いからマグネシウムがきっと甘いんだなーーー



当初は一気にウィーンの予定だったが余裕が出来たので途中の世界遺産パンノンハルマで泊まることにする。
世界遺産パンノンハルマ修道院、4 時からの見学ツアーに参加する。と言っても我々だけだ。約一人 200 円。


修道院下のペンションパンノン、窓から修道院。



安くて快適


今日の宿  パンノンハルマ P パンノン 2590円 二人朝食付 

感じが良いので夕食もペンションでとる。もっとも外に食事をするところはないだろう。


レンタカー走行距離 235 Km



2000年4月13日 (木)

以前の宿でも渡した “ 結婚式用のし袋 ” とそれに浮世絵シールを渡す。

10 分ほどで高速だ。シールを貼って入る。日本と異なり料金所はない。その代わり車に通行シールを貼る。
前述、オーストリアで懲りた!!

道はすぐにオーストリアだがシールは貼ってある!!!

インターやサービスエリアの入り口付近にはヒッチハイカーがそれこそ山ほどだ!
皆段ボールなどに行き先が書いてある。ケルンが有るのには驚いた!

道はすぐにウィーンだ。ミュンヘンでイビスウィーンを予約してあるが予定が早くなっている。 変更を頼む。
明日からの 14、15、と17、18、19 日に変更する。3 泊を 5 泊に変更する訳だ。

今夜はマリアツェルに向かう。ザンクトペルテンから OBB(国鉄)の狭軌が行っている。押さえたい。
ザンクトペルテンまではアウトバーンで出たら線路に沿って南に向かう。

マリアツェルの巡礼教会




教会前のガストホフに宿を取って 2 Km 先の終点に行く。
遠くから望む巡礼教会は夕日に映えて素晴らしい!

今日の宿  マリアツェル G ゴルデーネクローネ 7510円 二人夕朝食付 

レンタカー走行距離 283 Km



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