ドイツ IR(インターレギオ)
IC が都市間急行というのに対し「地域間急行」という事で IR が出来たと思う。
専用車両も好評だったが短命で終わった。必要性が無かったのかもしれない。
1992年
コンスタンツ → ドナウエッシンゲン → ハイデルベルク → ダルムシュタット →
マールブルク → カッセル → (ハンブルク)
IC とはひと味違うコース取り。 左には DR のマークがある。
1993年
上に同じ。 タイトルが「あなたの時刻表?」に変更。
1993年 1996年
上に同じ カッセルの先ハンブルクとブラウンシュバイクへ、異なる列車。
1993年
ゲルリッツ → コトブス → ベルリンリヒテンベルク → ロストック
旧東独部分では専用車両ではなく “ 専用塗装 ” のみ、だったと思う。
1993年
ケルン → ミンデン → ヘルムシュテット → ハレ → ライプツィヒ → ドレスデン
1993年
フレンズブルク → ハンブルク → ハノーファー → ゲッチンゲン
1998年
カールスルーエ → ザルツブルク(オーストリア)
2001年
エムデン → ミュンスター → ゲルゼンキルヘン → ケルン → マインツ →
ダルムシュタット → ハイデルベルク → カールスルーエ
2001年
アーヘン ←→ メンヘングラトバッハ ←→ カッセルヴィルヘルムスヘーエ
ドイツ以外
オーストリア
1982年
バーゼル(スイス)→ インスブルック → ツェルアムゼー → リンツ →ウィーン西 → ブダペスト東
1982年 1994年
ウィーン西 ←→ ブレゲンツ
1994年
チューリッヒ(スイス)→ インスブルック → ツェルアムゼー → ゼルツタール → グラーツ
ドイツのものに比べて簡潔で分りやすい。乗り換えの少なさも影響か。
乗り換えた列車の時刻表が記載されているのも良い。
1995年
リンツ → ゼルツタール → グラーツ
1997年
ウィーン西 → ベオグラード(セルビア)
D ツークだが内容的には EC と思う。
1998年
ウィーン南 → プラハホレショビッツェ(チェコ)
1997年
ブダペストケレティ(ハンガリー) ←→ ウィーン南
1998年
インスブルック → キッツビューエル → ゼルツタール → グラーツ
1998年
ウイーン南 → ブルックアンデアムーア → フィラッハ → ビショフスホーフェン → ザルツブルク
1998年
グラーツ → ゼルツタール → ビショフスホーフェン → ザルツブルク
1998年
(ジリアン)→ リエンツ → フィラッハ → ゼンメリンク → ウィーン南
2008年
ウィーン南 → フィラッハ
スロバキア
コシツェ → ブラチスラヴァ → ウィーン南(オーストリア)
スロバキア最長、最上級の「 IC タトラン」だが編成は短い。
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